おひさま堂創世記 ~豆と笑いの冒険譚~
連載読みもの
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ここに記されしは、「おひさま堂」という名の小さき珈琲屋が誕生するまで、そしてその後に歩んだ数々の旅の記録である。 剣も魔法も出てこない──代わりに現れるのは、豆を煎る炉の唸り、街道沿いの奇妙な出会い、そして時折やってくる病や災いの魔物たち。
これは壮大な英雄譚でもなく、国を救う大冒険でもない。 けれど、日々の営みの中で笑い、時に頭を抱え、それでも前へ進む──そんな騒動と奮闘の年代記だ。
どうか気楽に読み進められよ。 読み終えた時、ほんの少しでも笑みがこぼれ、心に一杯の温かい珈琲が満たされることを願いつつ、豆屋の女房が記せし戯言と思われたし。

第1章 心臓の魔獣との遭遇 ― 勇者、ヴェポラッブを手に立ち向かう ―
暦は西暦2008年、睦月の五日。 それまで我が家の年越しは例年通りに進んでいた。紅白の歌合戦が終われば、ほどなく川崎大師の除夜の鐘が鳴り、さらに十数分のうちに港の船たちが汽笛を上げて新年を祝う。あとは寝正月と箱根駅伝の観戦で正月は幕を閉じる──はずだった。
その朝、勇者(=夫)は城門(=会社)の初出勤へと元気に旅立った。 しかし、夜の帳が降りる頃、予期せぬ使いの文(=電話)が届く。
「もしもし…ちょっと気分が悪くてさ。社内の集会は抜けて、癒しの神殿(=病院)へ行ってきた。」
私は軽く「じゃあもう帰ってくるのね?」と問うたが、返ってきた言葉は予想を裏切るものだった。
「心臓がだいぶまずいらしい。今は症状がないから救急馬車(=救急車)は呼べないけど、必ず家族と共に馬車(=タクシー)で済生会横浜東部病院へ行くようにと言われた。先方の治癒師(=医師)にも連絡済みだ。入院の支度を頼む。」
急ぎ支度を整え、勇者と共に病院の城門をくぐるや否や、彼はストレッチャーという名の移動台車に乗せられ、奥の治療の間へと消えていった。 現れた治癒師の言葉はこうだった。
「いつ発作の魔物が襲ってきてもおかしくない状況です。詳細は後ほど。検査に入りますので、しばしここでお待ちを。」
待合の間はやけに静かで、救急馬車の音ばかりが響く。不思議なことに他の患者は一人も運び込まれてこない。嫌な予感と、得体の知れない不安がじわじわと胸を占める。やっぱり病院というダンジョンは苦手だ。
日付が変わる頃、治癒師が戻ってきた。
「重要な動脈が塞がりかけています。カテーテルでの治療を行う予定ですが、万一に備え心臓外科の賢者がいる時に行いたい。今夜はいないので、明朝九つの鐘(=9時)まで待ってください。発作がなければ大丈夫です。…ただし、発作が起こればすぐに使いを飛ばしますので、一旦帰宅してください。」
その一言の裏に隠された「発作が起きたら危険」という真意を、私は悟ってしまった……。
そのまんじりともしない夜を超えて、勇者は無事に治療を終え、元気を取り戻した。 この時、私は固く誓った──「これからはストレスの少ない平穏な生活を送ってもらおう」と。これが、「田舎暮らし」が、憧れから命のための目標になった瞬間である。念のため断っておくが、この想いはわが愛情より発するもので、決して、家計の要を失いたくなかったからではない(…と思う、多分…)。
後日談。
実は年末から勇者は「胸が痛い時がある」と言っていたが、なぜか薬草でも魔法でもなく、「塗る風邪薬ヴェポラッブ」を胸に塗ると治ると言い張っていた。以来勇者は「ヴェポラッブで心臓の魔獣を倒した男」として、一族の笑い話の主役になっている。同時に、それは豆の勇者の武勇として伝説となっている…はずだ。ほら、聞こえてくるだろう…♬ 武勇伝、武勇伝、武勇でんでん、ででんでん♪
次回予告
第2章 賢者の神託と幻の芝生競技 ― 勇者、療養のはずが王国の大会へ 🔆公開しました🔆